桜論

昨日は、花見会場のあこぎな商売を鋭く暴きました。
今日は、花見についてばしっと書いちゃいます。
僕が花見に行ったのは、ザッツ桜並木と呼ばれる観光名所。
そりゃまあ、人が多いったらありゃしない。
でも、わざわざ桜並木を見に行こうという羊集団たちだからマナーのいいことこの上ない。
行儀良く、二列にびしっと行列を作ってぞろぞろと歩いていく。
列を乱そうなんてやつも、列の間隔を変えるようなやつもいない。
アミューズメントパークの行列そのまま。
歩きながら、携帯のカメラで桜を取るカップル。
立ち止まって桜を見上げようとする子供の手を強引に引っ張って歩くお母さん。
情緒に浸る余裕なんて微塵もない。
決められたレールを転がりながら自己流を見つけていく。
そんな、中世ヨーロッパに生きた農民のような感覚。
芥川でいうところの芋粥みたいなものだ。
これはもう、一つの現代流花見スタイルだよ。
せわしないなんていっちゃいけない。
バカ騒ぎしかできない、公園型花見よりもずっと風流だ。
しかし、難がないわけじゃない。
並木道沿いに連なっていく桜の木。
これが売りなんだけど、正直15メートルくらいで飽きちゃうんだ。
行っても行っても続く満開の桜。
桜なんてどれも大差ないよ。
なのに、桜ってのはいちいち存在感があるんだ。
あっという間に食傷もんだよ。
桜って一気にいっぱい見るもんじゃないね。
もっと見たいくらいが一番だ。
週刊誌の袋とじといっしょ。