春の夢

昼間は汗ばむくらいの陽気なのに、夜になると冷たい風が体に通り抜けて行く。
こんな日は太陽のありがたみを実感する。
そんな春の日の幻だったのかもしれない。
寝不足と疲労、そしてこの春の気まぐれな陽気が作り出した住宅街の夢物語。
それ以外に説明する事が出来ない。


夜の九時を少しまわった頃、僕は自転車でいつもの喫茶店に向かった。思いがけない風の冷たさに体を硬くした。どこにでもある路地を曲がったところで、僕はどこか知らない場所へ迷い込んだ。


路地を曲がると、向こうに野球の素振りをしている少年が見えた。


寒いのにTシャツ一枚でがんばってるな。


少年との距離が近づいて行くにつれて、僕のその当たり前の感想が当たり前じゃなくなっていった。


どこかが違っている。


身長160cm、白いTシャツ一枚で熱心に素振りを繰り返す七・三分けの少年。


七・三分けの少年?


おっさんだ。
五十絡みのおっさんだ。


良く見ると、素振りを繰り返しているのは小さいおっさんだ。
五十絡みのおっさんが平日の夜にTシャツ一枚で素振りしている。


隣を通り過ぎる時に見たおっさんの目には、充実感と疲労感が浮かんでいた。


春の連れて来た素敵な幻。であって欲しい。