ペラペラ言葉で盛り上がり

言葉とはなんと陳腐なものだろうか。
口に出した途端に感情は薄れてしまい、集団的な意味しか持たなくなる。
形式以上の意味を持たない、とても薄っぺらい言葉が感情を押し込んでしまう。

とても冷える冬の夜、走りなれた道を原付で走っている。
信号待ちでふと空を見上げると、葉を減らした街路樹の向こうにくっきりと星が瞬いている。

心の奥がツーンとする。

口を開けばきっとこう言うだろう。

「キレイだ」

なんと薄っぺらいことだろうか。

やりきれない現実の鬱屈から
ふと無意識に見上げた空に一面の星。

それをキレイだなんて汎用性の極みともいえる薄っぺらな言葉で言い表すだなんて、そんなバカな事あるはずがない。

彼女のことを想って胃の奥がさわさわしたり、一人称の日常を彼女と二人でつくりたいと無性に思ってみたり。

それは愛ですか。
それは恋ですか。

そんな薄っぺらいもののはずがない。

そりゃ一時の熱情にうなされてるだけなのかもしれないし、多分に肉欲を含んでるんだろう。
そりゃ不順で安っぽい感情ですよ。
でも愛だとか恋だとかいう、100年も前から広辞苑に載ってる言葉が当てはまるほど単純じゃないはずだ。

言葉なんて所詮、集団内での情報伝達のためのツールに過ぎない。

そんなことを一生懸命言葉で書こうとしている僕のなんと人間の薄っぺらいことか。