EがなくならりゃEのにな
三度の飯より文学が好きだ。
比べることすら文学に失礼だ。
文学は紛うことなく人類の生み出した最高の娯楽芸術だと信じている。
それに対して三度の飯は、僕というちっぽけなパーソナリティを動かすための餌に過ぎない。
母親のケツとヘソの間の曖昧な空間から生まれた7月7日から
変わることのない僕の考えだ。
去年のフジロック、曇天の下鳴らされたくるりの『東京』は文学を超えていた。
『ばらの花』はサイコセラピストのコトバのように、無抵抗な涙を誘った。
今年のサマーソニックでも僕は文学を超える瞬間に出会えるだろうか。
くるりとフレイミングリップスを同日に喰らったらあっさりやられちゃうだろうな。
惜しむらくは、くるりとフレイミングリップスの間にKEANEがはさまっちゃうんだよなあ。
KEANEじゃなくてKANだったら言う事なしなんだけど。
ダメだ。そんな至高の流れを喰らったら精神が崩壊してしまう。
ってなことをKANの『永遠』聴きながら餌をほおばり考えている。